木綿より絹

お豆腐メンタルは木綿より絹

音楽の話

いつだろう。自分の考えは誰にも理解されないと、諦めたのは。 
いつだろう。自分が陰キャお豆腐メンタルだと気づいたのは。 

中学の時、「机はなぜこの形になったのか」と漏らした。「まためんどくさい事言って、」と笑われた。
 高校の時、考えを話せばいつも「君は変わっているから、」という枕詞がついてきた。


好きな音楽を、思いを、否定されたくなくて、ないがしろに扱われたくなくて、自分の話をする事をやめた。
いつの間にか、話をするのが下手になっていた。
鳩尾の深いところに溜まった思いを誰かに話そうとすると、言葉が口の中に充満しているのに、ぐっと飲み込んでしまう。

常に誰かの興味の無い反応を恐れて、大の大人が言いたい事すら言えずに、季節は進む。



ていうか、大の大人ってそもそも何。


星野源の“日常”の一節に救われた、16歳の自分。
《みんなが嫌うものが好きでも それでもいいのよ》《共感はいらない 一つだけ大好きなものがあれば それだけで》

周りがどんな反応をしようが、私には源さんの歌がある。
それだけで、よかったはずなのに。欲張りになってしまった。素敵な言葉の魔法は、あの頃よりひねくれてしまった自分には少し弱くなっていた。

変わったものが好きでも、コアな音楽が好きでも、全員に肯定されたい。
そんなの欲張りだ。自惚れてろ、勝手にふるえてろ・・・!

好きなものが周りとほんの少しだけ違う自分を、好きになってあげられない。


だってずれてるから。


だけど、音楽を聴く間だけは少し前を向ける。
いつも斜め下の地面を見つめて歩く自分とは違う。

源さんが自由に踊ることの楽しさを教えてくれた。

こんな自分でも共感できる音楽が、心から好きだといえる音楽が、この世界には手に余るほど存在している。この事実に寄り添われて今日も生きる。


生きるとかよく分かって無いけど、1日が過ぎる。


毎日新しい音楽に触れて、出会えた喜びを無表情のまま、時々涙を流しながら、実感する。

多分、これだけは周りと同じなんだろうな。
それぞれに愛する音楽があって、背中を押されたり、包み込まれたりしながら息をする。

いつか数学で習った、集合の図を思い出した。
私は大きな円からは少し離れた場所にいるかもしれない、他の円と重なる部分が極端に小さいかもしれない。
でも、その円より遥かに大きい四角の中には存在している。
大きな四角い囲いの名前は、「音楽」。


相変わらず気障な書き方できるもんだなぁ。
思っていることを自分で表現するのはこんなにも清々しいものだっけ。




2018/04/23 19:57